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    • 2015.01.20 Tuesday
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    • by スポンサードリンク

    414

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      昼が長く、夜が長く。
      咳をコンコンと咽せてもがらんとした隅っこに何かが埋まる訳でもない。




      去年末に、Kさんから、Kさんの愛猫のフォトアルバムを送って戴いた。



      これまでは自分のとこのネコへの関心が主だったが、何かの存在が自身に直接関わっていなくとも、その営みを知ることによってとても趣き深い温かくて豊かな感情になれることに気付いた。
      そのきっかけはトム君であった。私にとっても大切な存在である。
      だので、トム君の小さな頃や様々な表情や個性を知れることはとても幸せで、本当に嬉しい贈り物であった。
      それはきっと、茫漠とした意識の連続の中の単なる1つではなく、私自身がはっきりと“嬉しい”と感じたことだったのできちんと記しておきたいと思った。

      カオナシのように自己が埋没し他者の価値観の擦り合わせで幸せを競って決めて疲弊していくより、こんな風に、自身にとって特別なものを大切にして、泣いたり笑ったりしていたい、そう願うきっかけにもなってくれたトム君だ。

      このフォトアルバムにはそれぞれの写真にKさんの一言も添えられていて、読んでいるとそれもまた、とても温かく心地の良い安心した気持ちになる。
      トム君はこんな気持ちでKさんとそのご家族の元で過ごしていたのだと思うと涙が出てくるけれど、それもまた凄く嬉しく、やっぱりうまくは云えないけれど、ただただ感謝の念を抱くばかりだ。
      Kさん、本当にありがとうございました。

      どのお写真も好きだけれど、「ママに抱かれて」と「ごはんタイム」が特にいいなあって顔がほころぶよ。
      気持ちが顔に出てるのがとても愛らしいねー。
      でもブラインドを自分で開ける後姿とか、テレビ台の中に押し入って嬉しそうな顔も凄くいいね。
      やっぱりどれも良くて、見ているだけで幸せな気持ちになる。




      カイワレ大根を使ったので、軽い気持ちで水に浸けてみる。
      ちょっとずつ伸びてきているのを見るのが何となく楽しい。



      この記事に惹かれて。
      軽い気持ちでアボカド育てたんだが正直邪魔すぎる
      こんなに伸びるんだあ。


      買い物へ行くとスーパーでチューリップの花が売られていた。綺麗だった。淡い色が強く付く花も好きなようだ。花は詳しくないけれど。

      ハブさん(飼っていた愛猫)が亡くなった時、花を贈って戴いた。
      それは真っ白な花で、まるでハブさんがいるように感じられとても慰められた。それから元気のない時は花を見たり飾ったりしたいと思うようになった。
      暖かくなったら芽吹く木立や花々や川や鳥や虫を見に行きたい。

      と、調べていると、今はブルーシクラメン(↓)というのがあるみたいだ。
      以前よりサントリーが、青い色素を持たない花に青色を出そうと開発していることの関連にブルーローズがあったのだけれど、シクラメンも着手していたんだ。知らなかった。

      サントリー開発・セレナーディア



      冬は命のサイクルが途切れる終末というより、来る春に備えて水面下でエネルギーを蓄える時期、というのを最近どこかで見掛けた気がした。
      耐え難きを耐え忍んだ先に花が開いて誰かが笑顔になれるなら、もうちょっと耐えてみよう。



      やはり沈んだことは表立って書かないほうがいいのかも知れないと思うので、自身の不調については下に書く。


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      413 新年

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        明けましておめでとうございます。


        新年だけれど……。
        ネガティヴなことばかり書くのもどうかといつも悩むのだけれど、そのままを記していってみようと思う。


        命の母を飲み始めてひと月近く。
        眩暈、肩凝り、頭痛等はましになったものの精神症状が緩和しない。
        命の母に含まれているのは諸栄養素と漢方なのですぐに効くものではないと言い聞かせつつも、肉体症状のほうはましになったのに、と焦燥が酷くなる。
        ホルモン剤はやはり心身の変動が激しいので避けたく、もう少し飲み続けてみようと思う。
        が。
        辛さに耐えかねて友人に「PMS(月経前症候群)が酷いかも知れないのだが、毎月の都度に死にたくなったり対人関係が悪化したり破滅的な選択をしたり……、他の者もそうなのだろうか?」と訊ねると「カッとなりやすくなったりすることはあるけれどそこまでではない」と友人は答えた。
        やはりそうなんだろうか……。
        ここで吐いていても主訴は解決せず徒に不安が増すばかりなのは分かっているのだけれど、『何とか改善せねば』という気持ちばかりが鉄砲水のように堰を切って、破壊して廻りそして沈んでいく。ああ……。

        ただもう少し動けるようになったら、ほんのちょっとずつでもいいので体づくりをしていこうと思う。それが良い結果に結び付かなくとも。
        結果をみこした算段で、やる前から辟易とするのはもう嫌だ。




        ふとあるサイトに辿り着き、何となく印象に残ったのでメモしておく。


        『人生が上手く行かない時どうしたら』美輪明宏さんの回答が素晴しいと話題


        だから、悪い時期。どの扉を叩いても開かないような悪い時期は、外へ向かおうとしてもドアが開かない。ではどうすればいいか?「内に向かえ」そういう指令なのです。

        内へ向かうというのは「棚卸しの時期だぞ、バーゲンセールの時期ではないぞ」という事。

        だから「品を揃えなさい」。美・知識・教養・技術、そういうもの全て、自分の財産を増やしなさい。今はそういう時期。

        それで、セールの時期が来ると、あれ?っと思うぐらい、色んなところの突破口が開けていくんです。そういう時期に貯めていたものを全てバァーっと出すと、人生が上手く回り出す。

        回り出したら、最高まで行かないうちに、二番、三番手で引いておいたほうが無事でいられる。

        あっちがダメならこっちがあるさ、こっちがダメならあっちがあるさ。何か突破口はあるんですよ。


        ふむ。
        実益が欲しいということはないけれど、もう少し他者の為に役立てるような生き方が出来ればいいなあとはちょっと思うので、今の自分にとって有益かそうではないかの価値判断はとりあえずやめて、色々なものを学んでいってみようか。
        それがいつか誰かの何かになるかも知れない。
        ならなければならないでいいのだし。

        ただやはり思うのは、こういう時は本当に目に見えないものに惹かれるんだなあということ。
        現実世界のあらゆる物象やその価値に倦み疲れているからこそ、無形の物が気になりだすのだろうけれど、形は変われど「価値のあるものを得たい」という有形世界での価値観で狙いにいくので、(オ)カルトなものにどうしても出会うことが多くなるような気がしている。

        この件の美輪氏のコメントが(オ)カルト的と云いたいのではなく、抽象的な表現に対して懐疑的になるのは自身のどこかに無欲を掲げつつも欲深きを自覚していないとこがあるんだな、と感じたということである。




        情緒不安定が凄まじく、ネコの画像を見ているだけで嗚咽を漏らしてしまう。
        そんな不安定さをふわっと軽くしてくれた、ネットで見掛けた何枚かを貼っておく。
        ありがとう。








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          年の瀬が近い。

          八方塞がりで疲弊してきている。


          調子を崩す前に必ずハブさんの夢を見るようになった。
          数日前にもハブさんの夢を見て、『ああこれはちょっと注意して心身の状態を保たねばならんな』と思っていた折に、空を見上げるととても美しい満月であった。

          (ハブさんが亡くなる時に、彼女には“月”を贈った。
          その星が巡ればまた再会できるから、との想いから、私には花を贈るなんかの女らしい趣味はなかったので好きなジャンルだった天体の中から色々な星を探して、ハブさんに似ているものを贈った。)






          月を見ると、何だか安心するようになった。

          ファンタジーなことはないけれど、もし私がめそめそしていたら、ハブさんは哀しくなったりするんだろうか。
          もしそうなら元気でいようかなと思うけれど、やっぱりそういうことはないのでぼんやりと空を辿る日々。





          健康問題も悪化してきているので、気になることを幾つか備忘録としてとっておきたい。

          PMS(月経前症候群)が体の冷えに比例してか、寒くなればなる程酷くなっていき、にっちもさっちもいかない。
          冬季うつの兆候は今年も出ていたのだけれど、それにくわえ体中が痛み、頭痛も酷く、眩暈で寝ていても起きていても昼も夜もぐわんぐわんしている。
          そこにパニック発作が頻出し、発作がおさまっても脈が飛んだりするので、自律神経か甲状腺低下かと予測をつけるもやっぱりよく分からない……。

          冬季うつ セルフチェック

          とりあえずのぼせも気になるので命の母を試してみる。

          調べるとこれには血の道症に効くとされる漢方が入っており、以前処方されていた生薬の数種類も含まれているので藁にも縋る思いで飲む。
          服用3日目頃に気付いた違和感は食欲不振。
          コーヒーを飲むので胃部の不快感にはある程度慣れていたのだけれど、それとは明らかに異なる吐き気。
          何というのだろう、『もっと食べたい』という気持ちはあるのにつかえて物理的に食べられないような気持ちになる悪心、というのか。

          それも調べてみると、命の母の副作用は皮膚の症状、食欲不振、嘔吐、下痢、便秘などだそうで、皮膚の症状以外はあてはまったので『これも駄目なのか』とそれだけで気落ちしてしまった。

          命の母の効果と副作用

          でも苛々はほんの少しだけましになったような気はする。
          まだほんの少し。
          ものすごい情緒不安定だけれど、嫌なことをちょっとだけ思い出してしまった時に蒼褪めて立ち尽くして嘔吐する、というのが、それらをやった後に『頑張って我慢したらこの波もましになる、かも』と、諦めに近いような余裕がほんの少し出る、くらいは変わった。
          それは良い変化なのか……? ただ単にストレスフルで自律神経が激しく動転しているだけでは……?

          分からないけれど、でももう少し飲み続けてみようと思う。
          エビオスも飲んでいるけれど、命の母の作用が勝るようで、エビオスの健胃効果は期待できないみたいだ。

          詳しくは調べていないけれど、命の母に含まれている生薬は多分、腎虚に配されるものではないだろうか。
          腎虚も幾つかあるけれど、補腎か補気に働くものが入っているのだろう。
          でも、どの生薬が私に相応しくどれを飲めばいいのかを調べるのすら億劫……。

          六君子湯は胃腸が弱く気が滅入りやすい青白いタイプの、比較的最初のほうに飲んでみるもので、それが駄目だと大建中湯や補中益気湯なんかにした覚えがあるのだけれど、脾がどういう風に何によって弱っているのかの原因が分からないので勝手な判断で服用しても、なあ。消極的。

          昔入院した時に人参の漢方を毎日飲まされたのだけれど、何を飲んでいたのか気になって調べてみた。
          これだ。

          人参養栄湯

          飲んでみたいけれどまず今の証が分からないと手が打てない。
          メラトニンのサプリとかのほうが起床のスイッチが入っていいだろうか……もやもや……思い悩むということはやっぱり脾が弱っているのか……決断力も集中力もなくなってしまった……腎を補うのと足腰を鍛えるのを一緒にやらなければいけないか。


          筋トレをしていると、存命中はその負荷になってくれたハブさんを思い出す。
          何故か、腹筋中のお腹に乗ったり、腕立て伏せ中の背中に乗ったり、腹斜筋の往復にニャーと鳴いてカウントらしきことをしたり、と付き合ってくれた。

          ハブさん……私ちょっと疲れた……。

          あかんあかん、思い出してぼんやりネガティヴな気持ちになるよりは、今は早起きしてちょっとでも何か仕事して、今生きているものに返せるようにしないと。

          明日は寒いみたいだ。

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            台風が去って肌寒い。
            ホットカーペットを出してあげなきゃね。

            転寝をすると、自室で、亡くなった白いネコ達が遊んでいる夢を見た。
            ハブさんは私の傍にいた。
            思わず「あっ」と云ってしまった動きで目が覚めてしまった。

            少し前にも、横になった私のお腹に誰かが乗ってきたので、
            『これは夢かしら』と乗ってきた毛をもしゃもしゃすると、そのネコはどかず、私も目覚めなかったので
            『ああ、夢じゃないんだ』と安堵していたが、『えっ、てことは、今私に乗るのは茶トラしかおらん』とはたと気付くと夢はみるみうちにしぼんでしまった。
            やっぱり誰もいなかった。

            「思わないようにするのは思うのと一緒」
            という文言をどこかで見掛けて、ああ、そうだな、と俯きながら思った。


            たまたまローソンへ行くと、気になっていたリラックマフェアのチラシを見付けた。

            リラックマが茶トラネコの着ぐるみ、コリラックマが白ネコの着ぐるみ、キイロイトリが三毛ネコの着ぐるみをかぶっていたのでずっと気になっていたのだ。

            ↓ 気になっていたイラスト


            茶ッ、茶トラ!!

            ↓ これも


            この企画の詳細

            この茶トラぐるみの、ティッシュカバーVer.もあるのだけれど、あああ(震え)。
            み、貢がないよ。
            でもつみネコのフィギュアだったらいいかな……あああ。

            ↓つみネコフィギュア


            クックと魔法のレシピで遊んでいた時、つみネコとのコラボレシピが出て、デブネコまんまのそれが『とんかつ』と『ねこまんま』を組み合わせてどんぶり茶碗の『デブネコまんま』に完成した際には「そら太るで!」と突っ込んでしまった。


            ネコに被せるのはどうかと思う気持ちも若干ありつつも、これを観ると飼い猫とお揃いの頭巾を作りたくなる。

            Assassin's Kittens Unity



            アサクリやってみたいなー。



            以前、覚書した鶏そぼろのレシピを覚えやすいように変えてメモる。
            家の人間は鹹く味付けするので、和食は甘めに作るようになった。
            精製した砂糖は血糖値が急激にあがりやすいので、煮物にも警戒を始める最近。その前に食べる量減らせ。

            鶏そぼろ(甘め) 全部2
            ▲材料
            鶏ひき肉...200g
            *しょうゆ...大さじ2
            *砂糖...大さじ2
            *酒...大さじ2
            すりおろした生姜...小さじ1〜2 (チューブだと3cm〜くらい)

            ▲工程
            1.フライパンに*を入れ、鶏ひき肉も入れる
            2.木べらでほぐして、中火で汁気がなくなるまで炒める
            3.汁気がなくなれば完成



            視線を感じるので見るとご機嫌さーん。

            ごろり。


            顔ごしごし。


            スカルチノフッ。

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              起きると涙の跡が目の横についていた。
              あかんね。調子が悪いね。

              もやもやするので独り言を吐いていく。


              ふと、才能って、自身の存在を裏付ける能力のことだったり、己の価値を外部に紐付け高められる能力のことだったりするのではないかと思いだす。

              結果が数値化を経て物質にならない類のことは後回しにされることが多いけれど、「あなたがいるだけでいいんだよ」と受容される存在(能力)もまた1つの才能ではないかと。

              いや才能っていうと努力の余地のない何か(言い訳)的なものになってそれも納得できないな。


              集中力が続かず、1つのことを2,3分すると別の何かに移りたくなる。
              早いところ健全な依存対象を見つけないと。

              それで吾妻ひでおの失踪日記2 アル中病棟を読んでみたいと思った。

              今夜すべてのバーの冒頭にも、
              「なぜそんなに飲むのだ」
              「忘れるためさ」
              「なにを忘れたいのだ」
              「……。忘れたよ、そんなことは」
              (古代エジプトの小話)

              との引用がある。

              ああ……、そうなのだろうなあと思う。

              それで手元の本をめくり、別の気になるものを見付ける。
              遺伝子、記憶、学習記憶毒性について書かれた本だ。いつかその本についてレビューが書ければ書いてみよう。
              それからの引用ではなく別のところからだけれど。

              認知・行動毒性学:マウスにおける認知機能と社会行動の評価

              実験動物における行動表現型は、ヒトへの外挿を志向する毒性学全般において重要な指標である。
              我々はその中でも、「認知・行動毒性」として、外的環境と自己の関係性を把握し、適切な判断を下し、自己を制御する高次脳機能に対する影響に注目して研究に取り組んでいる。
              本講演ではダイオキシンの低用量発達期曝露による影響表現型(以下では、TCDD曝露ラット/マウスと示す)とともに試験法を紹介し、指標の重要性を論じたい。
              第一に、状況判断や自己制御を含めた学習機能である。スキーマ依存性学習(Flavor Map)試験は、食べ物の匂いをもとにした前頭葉依存性の課題である。TCDD曝露ラットは、単純な記憶課題では影響のない低レベルの曝露であっても、この課題を習得できなかった。全自動行動試験装置IntelliCageにおける行動柔軟性課題は、自らが作り出した行動パターンを状況に応じて変更できるかどうかを調べるものだが、TCDD曝露マウスではこれが低下していた。
              第二に、天敵の匂いに対する反応である。TCDD曝露マウスは天敵の匂いに対して強いストレス反応を示した。
              そして第三に、仲間との関係性すなわち社会性行動試験である。
              化学物質曝露影響として今後注目すべき自閉症やうつ病などの心の問題は、すべて社会性の中で表出する問題である。しかし従来の行動毒性試験は一個体のみを対象とすることが多く、社会性を扱うことが難しかった。
              我々はIntelliCage装置を用いることで12〜16匹のマウスを集団生活させ、社会性を評価する試験を開発した。
              TCDD曝露マウスは、いわば「ひっこみじあんになる」という社会的劣位性を示し、無駄な行動を繰りかえす固執的行動を示した。これらの行動指標は、ヒトの自閉症やADHD、うつ病患者の一部で見られるものと類似している。行動毒性試験の新たな指標として、認知・行動毒性をさらに発展させてゆくことが重要だと思われる。

              https://www.jstage.jst.go.jp/article/toxpt/39.1/0/39.1_S6-3/_article/-char/ja/

              https://www.jstage.jst.go.jp/article/toxpt/39.1/0/39.1_S6-3/_pdf


              (物質)依存を生じさせるものを摂取しても、依存症になる人とならない人がいることは確かであり、その要因は多岐に渡ると思っている。
              ではその要因を1つ1つ虱潰しにし解明していけば、ヒトは生き易くなるか?? と問われれば、やはりそれは分からない。
              その解決方法、あるいは、その問い自体の消滅は社会性からの脱却というところに近しいからではないかと思う。
              換言すれば、快楽をもたらす化学物質を摂取し続ければ幸せか?? ということでもある。

              以前は脳味噌に直接電気刺激を与えて、脳の中で、肉体を伴って生きているように振舞えれば、所謂マトリックスな世界にいれば、それはそれでいいのではないかと思っていた。
              けれど「それでいいのか??」と一度反問を抱くのは、一体何に由来する気持ちなのだろうと思い始めた。

              エボラの騒動が続いている。
              色々な反応の中には、知能程度の低い慣習をもつ未成熟の文化集団は淘汰されても構わない、という意見もある。
              それについての是非はない。
              勿論、選民思想や優生学に対しても、それはそれで1つの考え方なのでそれ自体には是非はもたない。
              集団から異質を排除しないでいるとその母集団が危険に陥るというリスクは確かにあるからだ。
              しかしそれは種としての面からだ。

              そうではなく、1つの存在(命)に対して別の存在(命)が何らかの価値評価を下す、この精神機構がなくなってしまえば、自己と他者との認識がなくなってしまうのだろう。
              私は私であり、あなたはあなたであるという認識は共存と他(自)害を同時にもたらす。

              これは私は巡りめぐって感情、もしくは人らしさと呼んでいいものと考えるけれど、この感情は脳の神経伝達物質に深く関係しているけれど厳密にいうと全く同じそれではないので、このあたりの明確化が化学では足りない時があるのだろうと思う。

              感情≒考えを分子でコントロールできれば応用化学で運用できるのだけれど、感情実体化のつてがないのでこのあたりのことがオカルト方向に寄りかかってしまうのかも知れない。

              フロイトは精神分析をプシコアナリーゼと呼んだ。
              プシコは精神より魂の意味だったと記憶している。
              私は何故、ヒトは存在の本質について考えるのか、ということを考える。
              それは快楽の本質でもいいし、何故酩酊を求めるのかでもいいし、何故破滅を求めるのかでもいいし、根源は表裏一体なので同じだ、その、存在についての疑念を明かせられれば、つまり自身の生きている意味を見出すことができれば、泥の人形(ゴーレム=胎児)は初めて、肉体ではなく、肉体と精神と自我を伴って“存在”という意味で命を吹き込まれるのだろう。

              私は統計学は一理あると思っている。
              つまり神は存在せずとも、神と同等の行為をなす者がいれば、神を否定するのは無意味だ、というものに否定の感情はあまりわかない。

              この行為密接による万能感を求めるところが、ボーダーの、
              ・理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定
              ・著明で持続的な不安定な自己像または自己感
              に繋がり、分離不安を避ける為に更に行為をもって環境をコントロールしていく悪循環に陥るのかも知れない。

              それで私はまた戻り、



              これを見ると、やはり、ああ……、そうなのだろうなあ、と思う。
              いや、そうだよなあ、と思う。
              私はこれをネコに置き換えると全くそのままだ。
              『目覚めてもあの子達に会えないなんて何を楽しみに生きていけばいいんだ』といつも思っている。
              ペットロスの部分もあるのだろうけれど、分離不安に由来するものなのだろう。

              このことについて実践を諦めなければいつかは何かに到達できると希望していた。
              それはひいては、
              快楽をもたらす化学物質を摂取し続ければ幸せか??
              という問いの答えが見付かると期待していたものだ。

              その希望こそが絶望である現実は残酷だなと思うことはなくなってきた。
              それこそ物質のもたらす毒性によってバカ(鈍化の意)になってきている自覚はある。
              それが良いか悪いかは分からない。私の選んだことだから。

              ただ今でも少し思うのは、こういった苦しい気持ちを他のヒトが味わってほしくないな、ということだ。

              昔、摂食障害に関するサイトを見ていた際、そこの掲示板にある書き込みが印象に残った。
              「ヒトより先にこの苦しみに陥り、そしてほんの少しそこから脱することが出来て、同じ問題で悩むあとのヒトに何かを残すことが出来れば(いいと思って書き込みをしている)」
              と。
              だけれどその書き込みをしたヒトは叩かれていた。「先に経験したからって上から目線でいるなよ」と。

              エボラの件についてもそこなのだろう。
              程度の低い人間は死んでしまっても構わないと思う人間がいることには何も思わない。
              だけれどそう云っている者々が、いざ罹患し、先にエボラにかかって生還した者から血清を与えられようと施される時、そこに医療の範疇だけでない倫理はどう展開するだろうか、とは考える。

              その展開こそが人らしさたるものなのだろう。

              駄文を書いてメインを貼るのを忘れていた。

              【検証画像】茶トラって大きいよね比較対象物が写ってなくても「デカい」と言われてた

              なんて見事なスカルチノフ!

              409 くろぼむ・れおぽむ

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                雨雲が去るとすっかり秋の気配だ。我が家のスズムシは絶好調で鳴いている。


                Kさんが愛猫とのお揃いの帽子を被った写真をネットにあげて下さっていて、(誰かと共に)生きた証があるのはとてもいいなあ、とホロリ涙を零してしまった。

                写真に写ったKさんとその愛猫の瞳は笑みに満たされていた。
                私にもそういった日々があの子達とあっただろうか、とやはりぼんやりと考えてしまう。

                近頃、レオぽんの表情が、どことなくロデブさんに似ている気がしている。
                ロデブさんとは以前飼っていた黒ネコのことだ。私はその責任からロデブさんに対して語ることのできることはまだ少ない。

                ロデブの写真で気に入ってるものがある。










                ぶ、ぶさかわ......。

                ロデブは野良ネコだったので、家に来ると大盛りご飯を平らげ、甘えるだけ甘えると、あとはぐうぐう熟睡していた。
                この写真も、おやロデブの気配が途切れた、と後ろを見ると、こんなにおじさん臭いしがらみをネコなりに抱えた表情で爆睡しているものだから、愛しさで胸をいっぱいにしながらくつくつと笑って撮影できたものだった。

                この平穏は少なくともこの時点ではずっとだと思っていたので、彼を失ってからこの写真を見るのはとても辛かった。

                そうしてロデブのお母さんはレオぽを生んだ。
                レオぽは我が家で大きくなっていった。
                仔ネコのあどけなさがほどけていく頃に、たまにロデブの面影がよぎるのは、いつもの私の傷心だと思っていた。
                が。
                この前のレオぽ。







                そっくりやがな。
                思わず泣き笑い。
                ロデブと一緒に生きていくことは叶わなかったけれど、レオぽがいるならこの命の胤がここにある、といつか心から笑って、Kさんとその愛猫トムくんのように、写真に収めることのできる日がくるだろうか、いやくるといいなあ。

                そういえば今夏はこの歌をレオぽに歌ってあげた。



                深夜、灯りを消した部屋でレオぽがつまんなさそうにしているのを見掛けると、小声でこの歌を歌い始めて近付き、フルコーラスを高らかに迎えながら抱っこしようとすると、レオぽは「いやああああ」と逃げ去っていく(遊び)。
                ふふふ、お子じゃのう。
                ちなみにこのホーミーのようなブブゼラのような音色を口でマスターできないかと試行錯誤している時も、レオぽは何やってんだみたいな目つきでこちらを見る。
                ふふふ、愛らしい。

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                  9月になった。寝覚月。

                  月を見上げ、亡くなった白いネコを思い出し、さめざめ。
                  夜の落とし物は闇夜のうちに置いていこう。


                  起き上がられる日にラジオをつけるとthe band Apartの夜の向こうへが流れていて思わず泣いてしまう。
                  (私の)近年では珍しく、いつ聴いても時の経過を感じさせない楽曲でとても気に入っている。
                  90年代00年代テイストが含まれているからか。これいいだよー。

                  オフィシャルじゃないもの貼っていいのかなあ。ええい、ぺたり。



                  Live動画が好き。





                  悩み過ぎて、長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返す、という言葉を思い出す。
                  (元:怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。)

                  ある点、ある線、ある枠の一介に過ぎず、全ての観点からの包括評価というものは出来ないのだ、それならいっそ個々の善悪ではなく、生物としての可能性を清濁含めて飲み込もうか。
                  ここにある主観的体験が狂気ではないという確証はないと考え出してから頭から私だったものが零れる。
                  私は私だったものを手繰り寄せているけれど、手繰り寄せて完成したそれが、先に待ち構えていた狂気からの崩落ではないとは云い切れない。


                  この本をはたと思い出す。

                  分裂病の少女の手記(みすず書房)

                  何で思い出したのだろう。何か思うところがあったはずなのだけれど。
                  また読み直そう。



                  ビックリマン原画展 について教えてもらう。

                  いや私は全然詳しくない。
                  詳しくないのだけれど森羅万象チョコ(こちらも詳しくない)が長年気になっていて、その流れでビックリマンのデザインにハッとした。

                  そうしてこれ↓を見て、
                  『ビックリマンシェーキ』
                  〜ロッテリアと30周年を迎える「ビックリマンチョコ 悪魔 VS 天使シリーズ」の初コラボレーション!〜

                  シェイクが食べたくなって食べたくなって、仕方が無いのでクーリッシュを買って食べている今。
                  冷える〜。あかんやん〜。でも美味しいのー。



                  神経が参っている。
                  数ヶ月経てば良くなる、季節が変われば良くなる、今我慢すれば良くなる、と信じ続けていたけれど、浮かぶ強迫思考を避けられず傷を反復してしまう。

                  本当は分かっている。
                  望んでいることは一番に望んだことではなくて、一番避けたいことを避ける為に、一番には望まない、だけれど優先順位は低くない、不本意な望みを繰り上げているだけだって。

                  私はそんなことをするヒトが大嫌いだ。
                  憎むというより、きっぱりと拒否してこちらに近寄らせない意味の、大嫌い。

                  彼ら彼女らと交じり合うのはとても自分に楽で快感に酔い痴れられるけれど、その快感は自分の身を食べていっている破滅的な悦びなので、私は生きて明日を作る為に、そんなのはもうまっぴらごめんだ。

                  だから私は望まないことを自らしない。きちんと決別する。
                  私が執着しているのは私自身だ。
                  ただ私は弱いので、できるならもう私を呼び求めないでほしい。私の身をあなたの慰めに消費しないでほしい。あなたの声はあなたの身のうちの奥にある自分自身へ届けてほしい。私の耳はあなたの自分自身に届けられない声を聴く為だけにあるのではない。喜びを謳歌して、風や鳥のさえずりや誰かの笑い声や音楽に、私は静かに耳を傾けたい。


                  金華猫は月を見上げて何を想うだろうか。

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                    お盆も終わり。

                    ものすごい湿気。
                    頭がぐわんぐわんする。


                    ようやく調べられたのでメモメモ。

                    攻殻機動隊 大原画展

                    >>押井守氏のトークショー、神山健治氏、後藤隆幸氏、黄瀬和哉氏のサイン会に参加できる「攻殻機動隊クリエイターイベント」応募締め切り

                    あああああ。
                    もっと早く調べておけばよかったなあ。
                    大阪は梅田かあ。比較的近くてありがてえありがてえ(;;)



                    雨の前の日に、頭痛や関節炎、腰痛、むくみが酷くなる訳を西洋と東洋医学の両方で根拠を見付けられた。
                    むくみに従って肺がぜえぜえいうのは肺浸潤してるのかなーとも思ったり。
                    起座呼吸のほうが楽なのは喘息かと思っていたけれど、成る程納得、心筋と腎臓だ。



                    ネットをうろついていて、ふとした科白が目に留まる。

                    「どこを探しても頭の中に僕がいない」

                    ふむ......。

                    (アルコール中毒による)スリップのもたらす自己否定は壮絶なものの1つの気がする。
                    若い時は、飲める時に飲んで、ストップがかかればまた次の飲酒機会を待てばいいのではと思っていたけれど、そうではなく、脳が物理的に変質し、極度のうつ状態になっているところに、傷めつけた内臓への不安とスリップ前まで積み重ねてきた断酒の努力が、決壊によって全て暴れまわると、あとには確かな死しか残されていない気持ちになるのだな、と何となく理解してきた。
                    不確実な生より確実な死を掴むというのか。
                    そういうのでまたふと中島らもやんの、今夜すべてのバーで をパラパラとめくると、うわーけだるい、このけだるさ(現実)の億劫さ、厭世さ、風が吹けば、そっと心に秘めた思い出すらも何もかも飛んでいってしまうのではないかと思われる恐ろしいまでの軽薄な空虚感は、そうやって世を眺めつつそっくりそのまま自己像に対する気持ち(評価)だったのだなあと。
                    積み重ねた実績はあっけない程に軽くて、逆に自分が生きて背負ったしがらみはとても重くて、これに対する誠意ある清算は自己の消滅しかないのだ、と。

                    対内外の評価のバランスがとれているうちは休養する為の措置は幾つかあっても、自身と人生に対しての評価を、(たとえ客観視できていないと自覚できても) 打ち出した時点で、人生の残りの時間はこの評価を確実に上回ることのない絶望の中でゆらゆら練り歩いていくだけではないのかという気がした。
                    その果てへの到達は本来、自然な加齢によって迎えるものだとしても、嗜癖によってものすごいスピードですり減らせばあっという間に到着するので、身体の限界という意味より、こっちの意味で生存率の低い一途を辿るのかも知れない。

                    身体の不調で嗜癖行動をとれないうちは本当の意味での断酒ではないと聞くけれど。

                    ああ確かに、身体は幾らか健康状態を保ち、その嗜癖物質をまた摂取できる選択が目の前にあり、その際に健康や責任やモラルを理性の天秤にかけなくとも、摂取しない、いや摂取する興味もない、という状態が、脱却の一歩なのだろうな、と感じた。

                    いや、そもそも、後で断つつもりで飲み始めるヒトは少ない。それはどちらかというと自分で自分の体を傷付けて、その再生能力に生きている実感を憶えるほうで、真逆か。

                    そういうあれで、これまたネットをうろついていてハッとした言葉があった。

                    「ずっと続けられると思ってた??」

                    ああー。
                    うん。
                    そうね。そうだね......。

                    生の旺盛な頃は悪夢もずっと続くと思っているので、回避行動を取り続けるつもりなのだけれど、色々な枷が生まれるにつれ出来なくなってくると、まずその、一生涯続けると思っていたものが自身から失われることに、大きな自己喪失がくる。

                    それで気付くと、やはり、頭の中に自分がいない、というあたりで彷徨い始め、サイレントヒルをうろつくように帰ってこられないのだなあと。

                    自分の軌跡を自分で失いながら自分で探すというところに、哀愁からの同情ではなく、愛情からの容認ができれば、少しは楽になるのだろうか。
                    これもまたふと。


                    湿度が高く、なかなか過ごしにくいので、ネコを探すも、いない。近くにいない。どこいったんやねー、坊ちゃんよー。

                    坊ちゃんを空腹で眺めるとトンカツやトラ焼きやたこ焼きを思い出す。
                    レオぽと生きるうちにお気に入りになったのはこの↓画像。



                    かわええのう。くっついたらもはもはしてそうでおいしそうだのう。

                    うちの坊ちゃんは、

                    毛づくろい......


                    中ぅぅぅ。



                    調べているとこんな画像に出会う。



                    むむむ、この街の粗雑な感じは関西ぽい、と詳細を探すと、このお店は黒猫カレーというお名前で、天神橋にあるよう。
                    南森町なのでこれまた近い。ありがてえありがてえ。



                    付記。

                    若い頃、Nice Marbles(ナイスマーブルス)というバンドが好きだった。
                    この先にある、燃え尽きや老いや夢の終わりは確実くると分かっているけれど、今に夢中になりつつも、その今の膿んだ毎日もだるーくて、でもそん中にあるちょっとした温もりや音楽や女の子なんかを噛み締めつつ、僕は生き急いでいくしかないんだろうかなあ、という、迷いの疾走感が良い意味の青々しさになっている、邦楽でもジレンマの描きがとても巧く、存在感がクリアなブルーという稀有なバンドだった。
                    1stよりリリースを重ねる毎に甘いポップ感は薄れ、ロックとポップの間を、文学的というより、やはりパンクっぽく味付けするのが若さ故に抱える諸々の表現につながっていて、私は初期も好きなのだけれど後期のリリースが特に好きでとてもよく愛聴していた。
                    同時期の邦楽の(パンク)ロックは英語詞が多かったけれど、彼らは殆どを日本語詞にしていたというのも個人的に好印象だった。

                    ご本人のあげていらっしゃる動画を見つけた。ので、Live動画でも貼り付けていいのだろうか。ぺた。


                    (この曲の幾つかがナイスマ)

                    眠れない夜に、他人との温度差、社会との距離、自身の不甲斐無さに腐りながら悶々とし、苛々したり溜息をついたりしながら、音楽を聴いたり楽器を弾いたりするうちに出口がなくなっていくように感じられ、うわあ、もうだめだ、と思いつめた時、そこにふと窓に差し込む微かな明かり、朝か......と空を眺めると、今日も晴れるかなあ、というライトブルーのまだ少し重い暗い空、という感じの音(ながっ)なのだけれど、この閉塞感は朝によって打ち破られるというのは今思っても1つの救済だったのだなあ、なんて。

                    そこまで深刻かというとそうではなく、ふわっと宙に舞うような軽さも在るブルーなのだけれど、その好転した時にはじける勢いの疾走感(病的ではないラピッドサイクラー)も含まれてあって、いつか音楽の作られなくなる時、いつか音楽の聴けなくなる時、いつか何もかもの執着から脱却して新しい土台に乗る時が、望むとも望まなくとも、自分にも確実にやって来るのではないか、という不安のループもこの軽やかな青々しさの中にちゃんと在り、今聴き直しても、ああその日々は泡沫ではなくちゃんと在ったのだな、と確認できた。

                    この感覚はAndymoriの初期にも感じた。
                    重い空の立ち込める前の、まだ少し楽しい時、というのか。
                    いつまでもたっても成熟しないのを私は焦っていたけれど、逆に、ここの限られた年代を味わえるメリットがある、と開き直れればメランコリックさも開拓できるのかも知れない。が。健常なヒトでも青春期は殆どはエネルギーのある躁か鬱のいったりきたりなので、ここにずっといるのは辛い。という年を経たジレンマ。ジレンマばっかり。

                    うわーこれは着地があんまり良くないパターンのナーバスになる振り返りだ。
                    な、なんかネコの画像見て本読も読も。

                    406 台風の日

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                      一昨日から失敗続きで、くよくよ。
                      これまで溜まっていたもやもやも首を持ち上げてき、そのまま底へ尽きればいいのに、中途半端に自罰衝動が出る。うう。

                      何をやっていたのだろうなあ、私は。
                      眠りの中に、暗闇の中に、答えがないことを知って、あえて暗いところを探していたんだろうか。

                      再出発、できるのだろうか......。
                      できるできないではなく、再出発したい、と思うことが増えてきた。

                      体を壊してまで破滅に向かうのが、少なくとも今は、適切な選択とは思えない、理性のある時はね。こう考えられるんだけどね。
                      でも壊せる資本があるうちにやっとくべき痛手は、のちに必要な材料だと、これまでは誰かが教えてくれていたから生きてこられたのかなあ。分からない。

                      自縄自縛したのならほどくのも、また自分なのだろう。
                      その責はきちんと負って果たさねばね。




                      これまでのマイクラ。


                      ニワトリの卵自動収穫機(回路なし)を作った!
                      少し心が痛む。



                      二段のお弁当箱のように、上部はニワトリさんを泳がせるところ、下段は産まれた卵を自動的にチェストに収める水の仕組み。



                      ニワトリさんと目があう。
                      ううっ。



                      この後、ニワトリさんらが装置から脱走してしまい、慌てて一同集める。




                      水を遠くへ汲みに行くのが面倒なので家の近くに無限水源を作った!



                      頂きの後ろから水流に乗ってノーダメージで下に降りられるようにも。
                      (←と→の双方向に水を流している。)




                      そうこうしているうちに牧場を緑のあいつに爆破された。
                      (緑のあいつ↓
                      爆破は厄介だけど、ゴーヤやアボカドやピーマンのように、癖があるけれどマッチするとめちゃくちゃ美味しくなる、というか、料理の命運を左右する重要なキーパーソン、みたいな存在感で私は好き。
                      そういうのはだいたい緑。緑。きー、私の牧場を!)


                      この緑の爆発によって手間隙かけて育てたウシとヒツジは牛肉と羊毛の姿に変わり果て、暫く落ち込んだ。

                      地上の柵を増やすより、地下牧場にすれば壁はおのずと高くなると気付いて改良(見栄え的には改悪)。



                      養うものが増えたので小麦の手動収穫機も作る!
                      奥の、木で組んでいるところの一部から水を流しガラスの外に収穫物が流れてくる塩梅。



                      そして家に寄り付かなかったけれど意を決して家の建設に戻る。
                      玄関の両開き扉を自動扉にした。
                      回路が楽しい!



                      家の中なのに床が草ブロックのままだというね。
                      今はイヌ小屋の建設をしている。

                      405 食べるもの / 今日のマイクラ

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                        うちの茶トラ坊ちゃんは、ウェットフードを食べずカリカリ(ドライフード)しか食べない。
                        少し考えている。

                        ウェットだけでは歯周病や顎の力の低下を招き、またオスはカリカリだけでは結石を作りやすいので、良いバランスでどちらも与えたいのだけれど、ふうむ、どうすればウェットを食べてくれるだろうか。

                        パウチの焼津シリーズもまぐろの刺身も茹でたささみも食べない。生の牛肉とかやる訳にはいかないし。

                        そういえば数年前、“シーバは腎臓に悪いので多くは与えないほうが良い”との文言をネットをふらついていて見かけた。
                        腎臓に悪い根拠もネコの臨床エビデンスも私は持ち得ていないので、ここでその(誤っているかも知れない)情報を記すのもまた相応しくないのだけれど......。

                        老猫のメスのおおよそ6〜8割は甲状腺機能亢進症にかかっているというアメリカの資料論文を、これも数年前、ネットで見かけたのだけれど、シーバに限らず、極端なことを云い出すと、保存料・添加料・特定の栄養素強化をしているものは全て、腎臓と肝臓に良くない。これはヒトも同じだ。

                        即毒という訳ではないのだけれど、蓄積すると、機能低下を始めた時に解毒代謝できず、遅効性毒のような振る舞いになるのだろうと予想される。
                        ヒトの重金属中毒について調べていた時にネコも近いものがある感じを受けた。

                        じゃあ何を食べるんだ。
                        そう、じゃあ何を食べるんだ??

                        (自身の)栄養に関してはビタミン桶理論のようなもので捉えていれば、結果的に満遍なく摂ろうとするだろうてなぁ、ホリスティック医学のような思想を伴った栄養素整合性はまだ不要か、と思ってはいるけれど、

                        ノバルティス社ディオバンの臨床研究不正事件

                        ということを、大きな会社と権威ある(が故か)大学・研究所がやっているので、結局、
                        「じゃあ何を食べるんだ??」
                        なのだ。

                        何を信じて何を選別するか??
                        の問題は、
                        摂取した物質が体内でどういった挙動をするか
                        の判断例には直結しない気がしている。

                        それにはやはり個体差が大きく関係していて、結果から眺めると、個体差(体質)と閾値と確率なのだけれど、現在という時点では何がいずれどうなるの未来判断は誰にも出来ない。

                        そう考えると、レオぽん(に限らずこれからいつか飼うかも知れない動物達)の食事は、各疾病のリスクを下げる健康管理を常々留意した上で、避けるべきものはあっても絶対的食餌はこれだという正しいものはない、と云えるのかも知れない。

                        イギリスやドイツのカリカリも試してみたけれど、環境要因も含めれば、これだけで神経質になれる。
                        逆に海外のネコ飼いさんは、魚が原材料の日本のカリカリは避けるのかも知れないし(魚介には水銀が含まれている)。

                        分からないけれど。
                        案外、スナドリネコ(魚食性を持つネコ)は肉食性とは異なったフィードバック機構を持っていたりするのだろうか。

                        何が安全か、ではなく、何がその際に必要か、で、体内ステータス(ゲーム脳故の喩え)を振り分けていったほうがベターか。


                        茶トラ坊ちゃんのお母さんネコはまだ元気に野良ネコをしている。
                        元気とは云えないのかも知れない。
                        見掛けるといつも香箱座りでへばっていて、常時舌を出し、ヨダレをてろーんと滴らせている。

                        野良ネコの寿命はおおよそ4年。
                        お母さんネコはここに来てからだけでもう6年近く。

                        命について、1つの生き物(私)が畏れ多く、「長生きだね」とか「頑張ってるね」とかいった評価を下すことは、それこそ失礼千万なような気がして、ただただそこに居てくれて、目が合うと重い体を持ち上げて、脚にスリッとしてきてくれるお母さんネコには泣いて撫でるしかできない。
                        「甘えにきてくれてありがとう」
                        と、お母さんネコの頭を軽くぽんぽんした。




                        小さい頃天使だった坊ちゃんは


                        大きくなっても天使ガブリエル(がぶがぶ咬むのでガブリエル)


                        うーむ、また、ネコのご飯ジプシーでもするかなあ。




                        何だかんだと上で書いたけれど、腎臓が弱いのは私で、横になっていると循環する血が腎臓に戻り易いメリットはあっても毒素のろ過能力が弱いので、寝ていてもしんどい。

                        それを、今、マイクラに向かうことで、少しばかり起き上がる時間にあてている。
                        (今更ハマッているとは云えない。)


                        昨日の成果。

                        あの豆腐は縦長に。



                        上部を建設中。



                        見上げた図。



                        下品なガラス張り二階・三階部。



                        家のまわりにはウシしかおらず、羊毛が欲しいので、地図なしでヒツジの好物を持って遠出をした。

                        ヒツジの好物を持っている間はヒツジはついてきてくれるけれど、他のアイテムに変えると離れていくので戦う術も持てず、丸石で3×4×3の屋根のない立方体を組み上げ、そこに(片手ヒツジの好物を握り締め)ヒツジと私とで入って長い夜を震えて過ごした(内訳:ヒツジ2マス、私1マスのピッタリど密着)。

                        夜が明けて、何回かヒツジを逃したけれど、好物をぶら下げて「おおーいおおーい(泣)、どこー(;;)」と探す姿は“牧畜”の重要性を再び知るには充分であった。

                        この後、ニワトリの好物をぶら下げて、またまた地図なしで遠出をするのであった。


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